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123 | ひふみ

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この1年くらいの私が集めた画像を素材として書のいろはである「あいうえお」を乗せる。今感じた感覚を素材とすることでイメージとテクニック2つの要素がある書の一面をどう見せるかという中で今回は写真のイメージを使うという方法をとりました。書がデザインとも工芸とも同じ方向性だけの分野と勘違いされる理由や、違いをわかりにくいとさせる点は高度な目とスキルまた、実際にそれを扱うためのある程度の訓練が必要だからではないかと感じています。書が評論される場合そういった方向だけで評論される事を私は残念におもっていて、書の線を鍛錬する中で見えるものが理解されると、また違ってくるのではと最近はおもっています。
そこでこの作品では線で表す以外の見せ方を入れようと。そこには私の書の表現スキルを助ける別の視点「この場合は私が集めたイメージ=今を生きたイメージを集めたものを作品の素材とする」という方法をとろうと。
書の地味だけれども鍛錬により積み重ねた人にのみ与えられるその先のものを、どう伝えればいいか、また見えにくいと感じている人たちに「生きた」をつたえられるように。書に私が取りくむ過程、また書に向かっている人達がまさに継承しているさなかでありそれぞれが進化できる道具となる事、それらの要素を「いろは」にこめて書しました。また修行(お稽古)の要素がつよい書の世界の人たちも別のアートや音楽などから共に得るものを探り発言できる力をつける必要があるのではという点も思っています。それは書の基礎レベルがあるとなお「発言すべきか」という迷いもあるのかもしれません、別のアートが持つ発言力を書人が出来るようになること、またそれは私の次のいろはへ昇れたということなのでしょうか。

17.June.2017 - 風人雷人

統制、規律、道徳観=文字と人のこころ=デザインと行動の管理
(書道が小学校教育で行われている理由、もしかするとプログラミング思考の授業が学習要綱に盛り込まれている部分と重なることが見える。)
この文化と人間性のスキルを文字を書く行為であるぶぶんとして管理されてきた点は感じていて、今後日本でも移民が増えた場合の日本で小学校教育を受けていない人との倫理観のずれを書道、茶道、武道をはじめとした道事の精神が補う事が出来るとおもう側面は、言葉はもちろんもっとも重要なツールではあるけれど、この心のジャッジのずれを埋める事については、「あいうえお」をテキストとしながら書道はその部分をになう余地があると感じている。反面~私がアートを作りたくなる人間だという事実
日本での手書きの教育を受けていない場合の方へ手書きのルールを覚えてもらう点もある。フォントと手書きの違いが関係してきて手書きのルールとフォントは部分的にずれる。たとえば線で作るはずの手書きがフォントの場合は丸(点)と見えることがある。日本で義務教育の過程ではいまだ先生は手書き指導する、すると手書きのルールで学習してきた人とコンピュータや本など印字されているものだけで覚えた場合足りなさがでてくる。日常生活で手書きルールが出てくる場合また混在するこの時代ではなおさらで、ここを埋めて日本語の文字のルールを覚えるためにも手習い的に書習字に触れることでその根本の決まりがわかっていく過程を通過できる。
:23.j~

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